沿革

第二次世界大戦後、1953年新生東京大学の生産技術研究所・助教授として勤務していた星埜和先生は当初は土質工学・舗装工学を専門としていたが、急速なモータリゼーションの進展とともに道路交通工学の重要性を意識し、その後1971年に退官するまで、日本における交通工学黎明期の草分け的存在の研究者として活躍した。

1964年に当時の建設省土木研究所から講師として越正毅先生が赴任後は、星埜先生と星埜・越研究室となり、星埜先生退官後は越研究室として当研究所の交通工学の研究室を主宰し、1978年には教授に昇任した。

その後、鹿島茂先生、Dr. Bruehl Friedemann、片倉正彦先生をそれぞれ講師・助教授として迎えた後、1987年に桑原雅夫先生を助教授として迎えて越・桑原研究室となった。

1990年に越先生が東京大学工学部に転出後は、当研究所の交通工学の研究室を桑原先生が主宰し、2000年には教授に昇任した。その後、2007年に田中伸治先生を講師として迎えて桑原・田中研究室となった。

2010年に桑原先生が東北大学へ転出して田中研究室となった後、2011年に大口敬先生を教授として迎えて大口・田中研究室となった。2012年に田中先生は 横浜国立大学へ転出して大口研究室となった。

2013年に井料美帆先生を講師として迎え、大口・井料研究室となった後、2014年に和田健太郎先生が助教として着任し、2015年には井料先生が准教授に昇任した。

2017年に井料准教授は名古屋大学に転出して再び大口研究室となり、現在に至る。